活きる事について

禅でした。

物事を都合よく解釈する人は鬱になりにくい。

 

 

潜在意識とか、引き寄せをやっていると、鬱にならないかもしれない笑

というか、逆に鬱の人には受け入れられないかもしれない。

 

 鬱はシビアなのだ。

そして「希望」が薄いんだろうね。

 

 

期待、希望、願望、

それ等が傷付いて、現実的論理的な考え方を優先する様になる。

失敗した事を繰り返さない様に、別の選択をする。

 

私はウジウジ虫なのだが、

ウジウジの理由は、かなり冷静だと思う。

 

予想が出来ない。

 

現実的材料のみで判断した所で五分五分じゃん。

と、思う。

 

しかし、理想や希望を抱いてる時は、想像力も足りない。

 

おもしれえじゃん!!って思った時、

それを他人がどう思うか?を考える事が出来ない。

その為に誰かを傷つける事が多い。

 

どっちをとってもダメダメである。

 

果たして、理想の私ってなんだろう?

 

 

そう言えば、早苗さんのセッションで、

 

パートナーと仲良く過ごせる様な道を選ぶ。

 

というのがあった。

 

 

なんか、自分自身に向けられる物のタイミングが合って、結局いっぺんに怒涛の様に障害が失せてしまった。

 

ところがだよ、わかりやすい障害が無くなると、私は私の意思で動く事になる。

 

なんか、物凄く不安になった。

私という人間は、勝負から逃げられるアイテムを沢山持っている。

 

産まれた瞬間から、勝負しなくても粗方生きては行けるかなと思う。

 

そして、最近お坊さんと話していて思う。

若いお坊さんは、足掻かない。

私世代は勝負せずに、産まれた物をラッキー!と言って受け取る。

欲をだしたら戦わなければならないし、大変だし、辛いし、しんどい。

それを、敢えて選ぼうとはしない。

置かれた場所で、生きればいいじゃん、そもそも苦労しないで手に入る物多いし〜と思える。

これは、私も少し前まで思っていた事だ。

 

私はやだ!!!!ってなったけども。

 

なんで、やだ!!ってなったのだろうか?って言われると、

メリットよりデメリットが勝ったからだ。

お寺を守れるのは、お寺に守られた人だけだと最近思う。

 

 

そして、やだ!!!!とならない事は、今までの大人が「大人にならなければ」と思って目指した所だと思う。

諦めた結果に辿り着いた部分だと思う。

だから「夢を諦めた美談」や「夢を諦めた過去を乗り越えて再び夢を目指す物語」が持て囃される。

涙を誘う。

自分には出来ない事のかっこよさ、自分の過去を肯定してくれる優しさ。

 

だがしかし。

初っ端から望まない、禅僧としては一見優秀な現代の若者は、

自分に広い家があり、就活しなくても仕事があり、地域のなかで最低賃金よりマシな仕事に、定年退職無し、ほぼ自由時間、確実に代表になれる、何も出来ない内から立派がられる、そんな人生を、わざわざ捨てたりしないでしょう。

 

衣食住の苦労がインターネットやテレビですぐ見れて、自分と比較出来る。

それは、無茶な願望なんて持たなくなる。

 

私だって、未だに惜しいと思ったりはする。

 

どうして、私には欲望があるのだろうかと思う。

欲望さえ無ければ、今も心を殺す努力に勤しんで、お寺で安穏としていた事だろう。

欲望が抑えられなかった時、この寂しさや悲しさを、ただ聞いてくれる存在が欲しくなった時だ。

その言い訳に、今の仕事を選んだけど。

 

じゃあ、何故悲しかったのか?

寂しかったのか?

 

それは、心を殺しきれなかったからだと思う。

殺せない心って何だろう。

 

必要とされたい。

認められたい。

許されたい。

 

これが大きいだろうと思う。

 

それは、欲望になる。

冒険に挑む。

勝負を仕掛けるし。

戦うんだよね。

 

今目の前の事にきちんと耐えて、心を殺しきれたとしたら、

必要な存在だし、認められるし、許しを得られるはずなのに、それが出来ない。

短気だと思うけど、何よりも。

 

こいつらに必要とされても、叶えたくない。

認められても嬉しくないし、

許された所で鼻で笑っちゃう。

 

私は私自身を過大評価していた。

お寺の人達と同列で褒められた所で、バカバカしいと思ってしまうと、

モチベーションが保てない。

やる気スイッチが入らない。

 

諦めれば良かったのだけれど、それ以上にもそれ以下にもならないのは明白だ。

退屈するなら趣味に時間とお金を使えないいいと思ったけど、その使った先で、見つけてしまった。

 

欲望、願望、希望、期待

煩悩と呼ばれるありとあらゆる物。

 

その煩悩が吹き出た時に、人間は何をしなければいけないのか。

 

忘れてはいけないし

浸かってはいけない

全うすべきなんだと思う。

 

私は煩悩に出会えた事が嬉しい。

煩悩を知れた事が嬉しい。

得難き物を得た。

そんな気がする。

 

煩悩こそ、師であるし、己であるし、仏なのかもしれないね。

 

 

そわなわけで、独身になりました。